マカイバリ 紅茶
マカイバリ 紅茶


2014年11月20日
東京大学 校友会
   
持続可能なお茶の真理の夜明け
工業化した農業

第二次世界大戦前は、世界の広大な農地の多くは有機的でした。農民は収穫を自然に依存し、肥料を田畑や家畜から得て人間の手で耕しました。これは大地と密接に関わる厳しい生活で、何千年もの間自然のリズムを尊重し見守って暮らしてきたのでした。

第二次世界大戦は、西洋での農業の形を大きく変えてしまいました。不運でありながら、あまり認識されていない影響のひとつは、兵器を爆発させるのに必要なナフサ(粗製ガソリン)の需要です。ナフサは鎖状の炭素化合物で石油の副産物です。原子爆弾が作られナフサは広島と長崎で使われました。また、ホロコーストの後遺症は現在も存在しています。長崎に近い八女(やめ)のような日本茶の名産地がその惨状から回復したのはつい最近のことです。

殺戮と破壊が戦争を終わらせました。連合軍の最高司令官で、ビッグ・アイクとも呼ばれたアイゼンハワー将軍は、戦後に大統領選の候補として要請され、当選しアメリカの大統領になりました。戦闘が終結して、ナフサの巨大な在庫を持て余したアメリカの武器メーカーは、ビッグ・アイクを見上げて、将来の爆発物の製造のために保存しておいた余剰在庫の補償を求めました。ここに全農民にとっての不幸が始まったのです。肥料や農薬、ダニ駆除剤、除草剤をどんどん使用する農地の工業化が起きたのです。なぜかというと、すべての農業用化学物質の原料はナフサだったのです。十分の一の努力で 莫大な豊作が得られました。現実的には、全農民が無差別的に自分の田畑に人工的な農業用化学物質という爆弾を落とし、農地を小さなヒロシマ、ナガサキにしてしまったのです。

この緑の革命の虚像は、レイチェル・カールソンが1957年に出版した『沈黙の春』によって吹き飛ばされました。この勇敢で洞察力に富んだ本は、人々を目覚めさせ、その覚醒が集結してオーガニック・バイオダイナミック運動となり、ついにその力はマカイバリ茶園で花開き、1980年代後半に熱帯地方にあるこの茶園がこれらの実践のパイオニアとなりました。その本がもたらした覚醒は他の可能性や持続可能な相乗効果の選択を模索する先駆けとなり、強大な力を持つ石油ロビーが扇動した工業化した農業、強力で従来の農業手法に対抗する力となりました。この石油ロビーたちのアジェンダを克服するためには、超人的な努力と責任が必要です。従って、持続可能な栽培を実践する農民が数パーセントしかいない西洋や日本のように工業化された国にとってそれは莫大な挑戦、課題で、じつに難しいことです。

現在、ほとんどの先進国の農業人口はおよそ5パーセントです。インド亜大陸では全人口の8割が農民であり、収穫の7割は降雨量に依存し、本質的に農業はオーガニックなのです。しかし、このように貧しい農民は極度に貧しいためオーガニック認証を得ることもできず、作物をそれなりの正当な価格で市場に出すこともできません。インドには16,000の茶園が登記されています。対照的なのは、組織された農園は、亜大陸の同業者とは対照的に裕福で、茶園在住者は多くの法定給付の恩恵を得ています。

マカイバリのオーガニックの開拓者としての努力により、既にダージリン地域の茶園の70パーセントが有機栽培に切り替わりました。この勢いは、いまや雪だるま式にアッサム地方や南インドのニルギリ茶園にも拡大しています。これは各地域で有機栽培に切り替えようとする貧しい農民たちにとってすばらしい兆しです。なぜなら環境に優しいエコ農業は、経済的にも成り立つことが現実的になってきたからです。これはより大きな枠組みからみれば地球温暖化を中和する巨大な効果を発揮するのです。

マカイバリ 紅茶 バナジー氏
東京大学に留学しているインド人留学生およびマカイバリ茶園に訪問した学生たちと。