玉露物語~ダージリン有機手もみ玉露の誕生
2004年3月16日から3月19日、京田辺市の手もみ製法の名人・山下壽一(やました・としかず)氏とお弟子さんの杉田充(すぎた・みつる)さん、山下さんのお茶を扱っている「舞妓の茶本舗」の田宮正康(たみや・まさやす)さん、そして日本茶業新聞社の大西弘泰さ(おおにし・ひろやす)さんがマカイバリ茶園を訪れて下さいました。ついに、世界一同士のコラボレーションによる、世界で初めての「有機ダージリン・手もみ玉露」の誕生です。
茶園主バナジー氏は2003年6月に来日して以降、山下氏に茶園に来てほしいという熱いメッセージを送り続けていました。そしてついに、海外旅行は30年振り、という山下氏がインド行きを決意してくださったのです。バナジー氏は茶史の歴史的な出来事になるだろうと話していました。
2001年の夏、産経新聞論説委員の千野境子(ちの・けいこ)氏が、明治時代に明治政府から派遣され、日本政府として初めてダージリンへ紅茶の製造を学びに来た多田元吉(ただ・もときち)の足跡を追って、マカイバリ茶園を訪れたことがあります。(詳しくは『日本人の足跡 三 ~世紀を超えた「絆」求めて』産経新聞社.2002年. p.616 「茶業近代化の功労者_多田元吉」)
明治時代から始まっていた日本とダージリンの茶史。異文化を背景にした人たちが海を渡り、共に大切にしている「茶」を共有しあう。インドから日本へ、そして日本からインドへ・・・。
2004年3月16日~19日、その茶史に新しい一ページが刻まれました。
現地レポート
★玉露プロジェクトティームのメンバー紹介★
山下壽一さん:70歳。手もみ玉露日本一を26回も取得されておられますので、玉露でも世界一。その他に平成7年には「勲六等瑞宝章」など、数々受賞。お孫さん3人。特に3歳のお孫さんが山下さんの玉露を飲んでいつも「じいちゃん、うまいね。」と言ってくれるのが楽しみでもあり励みになるそうです。長年、大がいくつかつく阪神フアン。昨年の阪神の活躍が山下さんダージリン行きを決断させてくれたのでは???と推測したりしました。阪神のマークの入った野球帽を被ってのダージリン行きでした。ヘビースモーカー。インドも禁煙地域が増えてきましたのでご苦労されました。
田宮正康さん:舞妓の茶本舗 田宮博子さんの息子さん。山下さんの甥になります。山下さんから正康さんがダージリンに同行することを条件とされていました。ラジャさんからも高い評価を受けておられる方です。銀行マンからお父様田宮宏悦氏の「舞妓の茶本舗」に入社。茶業業界でも若手の会の会長を含めての要職につかれています。高校生ら3人のお子さんのお父様。ゴルフはハンディ0。デリーゴルフクラブでのプレイを次回インド行きの楽しみにされています。
正康さんのユーモアセンスと機知と機転で、インド紀行も自然体で、笑いの中での毎日でした。
大西弘泰さん:正康さんの友人。日本茶業新聞社を運営。2人のお子様のお父様。正康さんとのコンビは絶妙。ソフトな京都弁で常に全体を見て縁の下の根回しをしてくださっていました。アグラであまりにもしつこい物売りに初めて「うるさい!」と怒っただけで、後は常に笑顔で、楽しくインドの日々を過ごされました。今回のダージリン紀行の大西さんの記事が楽しみです。
杉田充さん・21歳。17歳の時に山下さんのお弟子さんだったお父様に連れられての入門。茶畑とトマト栽培にお父様と従事。柔道家(何段か聞きそびれました。)背も体重もある立派な体格です。礼儀正しく、粘り強く、山下さんのおめがねにかなったお弟子さんです。「茶園の人がとても熱心なので僕も負けてはならぬと必死で煉りました。」「父が茶園に来たかったと何度も言っていましたが、将来を考えて若い僕に行かせてくれました。」「山下さんに出会えたことが、僕の将来を決めました。感謝しています。」遠くからみる杉田さんは一行の中でずば抜けて大きいのです。茶園の人たちの噂をラジャさんが教えてくれました。「大きくて、立派なのに、そばで顔をみたらまだチャイルド!」ということでますます人気があがったそうです。
4人の共通なことは、それぞれ4人のお祖父様やお父様が昔から親しくしていたことです。今回のメンバーは2世の集まりです。
つづき>> ★マカイバリ茶園へ出発★
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